がんばらない成長論より

がんばって、がんばって、がんばった末に得る成長とは違った、今の自分では思いもよらぬ、まさに「サプライズな成長」がやってきますから。

「成長に対する執着」を手放したときに、思いもよらぬ成長が手に入るのです。

がんばってやってきて、今、こんなもの。 なら、こんなもので、もう、いいんじゃないか?

僕は、成長しようとするのをやめたとたん、いつの間にやら、大きく「成長」してしまっていたのです。

人より仕事が遅かろうと、営業成績が最下位だろうと、役立たずだろうと、ポンコツだろうと、みんなみんな、自分を否定する必要なんてないんです。

ストイックにがんばってきたタイプの人より、どこかぼーっとしている人のほうが、安定した地位を保っているもの。

「成績がよくて感じの悪い人」より、「成績が悪くても感じのいい人」のほうを持ち上げたくなるのが、人情というものなのです。

人間も、植物と同じ。最初から成長するようにできているんです。

でも本当は、「ダメな自分」が存在するのではなくて、「ダメな自分がいる、と思っている自分」がいるだけ。

人がうまくいかない理由は、ただ一つ「私だから」。 人がうまくいく理由も、ただ一つ「私だから」なのです。

「あんな実績を上げれば人から尊敬されるんだ」ではなく、「あんな心であれば、幸せになれるんだ」と考えてみると、おもしろいのです。

現実、結果を見て自分を肯定するのではなく、現状の自分を先にすばらしいと肯定してみると、それに見合うすばらしい現実が、後から登場する。

あくまでも今の自分が見えている経験の範囲内で、その範囲に収まる程度の成長を求めてがんばってしまう。

何もせずとも見事な実をつけるようになったリンゴのように、本来は、何もせずとも成長する、放っておいても成長してしまう、それが私たちなのです。

気の乗らない仕事まで引き受ける現実の延長には、気の乗らない仕事を受けつづける不幸せしかありません。

気の乗らない仕事を断るということは、気の乗る仕事だけをする、ということです。

蛇口からじゃーじゃーお金が出てくるとしたら、何をする。

「ありえない」ことをすれば「ありえない」ことが起こる。「今までの逆」をすれば「逆の現実」が来る。

現状が気に入らないのであれば、現状の自分、その思考、その行動を変える必要があるのです。

迷惑をかけるより、迷惑かけまいとがんばるほうが、迷惑なのです。迷惑かけないようにがんばると、他人に感謝を強要するようになるからです。

人の期待に応えられないと、「えらいこと」になるのではありません。自分の優先順位を間違えたときにこそ、本当に「えらいこと」になるのです。

「私、すごいので」 この前提を置きながら、今まで「すごくない前提」で必死にがんばっていたことを、一つひとつやめていってください。

人から叩かれて自分の好きな生き方を引っ込めるというのは、要するに、他人の価値観に合わせて自分を抑え込むということです。

「これだけは持っていきたい」と大事に抱きしめていた、この一番大きな荷物。 それを「えいやっ」と捨てることができたとき、あなたは、本当に自由に、のびのびと成長していくことができるのです。

日々、目の前にある小さなことの好き嫌いを、まずは感じ取ることから始めてみればいいのです。

自分が自分の好き嫌いを優先しないで、いったい誰が自分の好き嫌いを気にしてくれるというのでしょう?

その「問題」が「問題」なのではなく、その「問題」を「問題だ」と「言う人」に「問題」があるのです。

「きちんとしなければ責められる」なんて、まるで強迫観念のように、自分で勝手に思い込んでいるだけ。

今まで許せなかった人の行動を許すと、「この人のことを自分は許した。ということは、自分もそれをやっても大丈夫なんだ」と、自分を許すことにもなるのです。

一番いいのは、解決しようとしないこと。そのさみしさも、そのまんま丸ごと受け入れることです。問題視しないから、悩まない。苦労なんて買って出ていないから、大変でもない。

根拠のない自信とは、「私はすごいし、私は大丈夫。みんなやさしいし協力してくれる。何をしても許される」という自信。

成長とは、何も素晴らしいことではありません。 成長とは、ただただ、とにかく楽しくて、おもしろいこと、なのです。

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