アドラー流 自分らしく生きる心理学より

名言ノート(72)

私たちは、「与えてくれる人」が大好きなのであって、そういう人とつきあいたいと思うものなのである。

相手を利用してやろうとか、食い物にしてやろうとか、そういう気持ちがあると、人間関係はうまくいかない。打算的な人は、人と交わることができないのだ。

相手の弱いところにも同情してあげようとか、相手の感情に敏感になってあげよう、という気持ちがある人ほど、受容性を持つことができ、結果として、人づきあいはうまくいく、というのである。

ちょっと立ち止まって、相手のことも考えてあげるようにしよう。そうすると、自分ばかりが正しい、という誤ったモノの見方を修正することができる。

属性の好き嫌いだけで、相手を判断するような人は、ありのままの相手の姿を見ようとしない人であり、そういう人は、たいてい人づきあいもヘタである。

相手の悪いところを「注意」するのではなく、良いところを「称賛」してあげられるような人になろう。

相手よりも上に立てば、少しは気分が良いかもしれない。だが、自分が気持ちよくなるということは、相手はその分、不愉快さを味わうということでもある。

こちらが悪い期待を持っていると、相手は、本当にその通りの人間になってしまうのである。だから、相手に対して悪い期待などを持たないようにすることが大切だ。

「自分を大きく見せる」というのは、結局のところ、現実の自分とは違うわけであるから、そのうち馬脚をあらわして、かえって笑いものにされてしまうことが少なくない。

どうせ贈り物をするのなら、相手からの見返りなどを期待してはならない。あくまでも、「ただ贈る」ことが重要なのである。

人づきあいにおいては、「怒る」ことは、何の利益にもならない。人とぶつかり合いになりそうになったら、まずは怒りの感情を捨て去るようにした方がいいであろう。

相手と正面から向き合っていなければ、相手が何を考えているのかが分からないし、その人との付き合いもできないないであろう。

出世したい、上を目指したいという欲求があればこそ、人は本気で仕事に取り組めるようになるのであり、また、仕事に面白さを感じるのであり、結果として、生きがいを感じられるようになるのである。

人を羨望するというのは、いわば「目指すべき人物像」が鮮明になるということであるから、なりたい自分に気づくことができるというわけだ。羨望する気持ちがあればこそ、人は目標を持つことができる、ともいえる。

一人ひとりの声は小さくとも、それでも声をあげつづけていれば、組織は変わっていく。

私たちは、何か行動をした後に、「快」が伴っていれば、その行動をいくらでもやりたいと思うようになるのだ。

「こうすると、いいですよ」という具体的なやり方だけを教える。こういう、ジムのインストラクターのような指導が理想だ。ダメな上司は、部下に理由ばかり尋ねる。

相手を勇気づけるためには、自分が本当にそう信じていることが大切であり、誠実さが必要である。

状況が悪いときには、ひたすら耐えていれば、そのうちに事態が好転することは往々にしてある。

部下の代わりに何でもやってしまっていたら、部下は、仕事を覚えていく楽しみ、自己成長していく喜びを味わうことができない。

辛い仕事を、何とか達成できたときの喜びは、言葉では表現できないほどの快感である。

ダメな社員にするのも、やる気に溢れた社員にするのも、最初に影響を与える先輩や上司の責任である。

大切なのは、やさしく接するときにはやさしく接し、厳しくすべきときには厳しくするという、メリハリなのだ。

罰を与えれば与えるほど、部下のやる気はくじかれ、反発心や怒り、敵意といったものが醸成され、ますます仕事をやらなくなる。

仕事で高い業績をあげている人は、仕事中毒で、仕事ばかりしているわけではない。彼らは、もちろん仕事には全力を出すが、同じように個人の興味などにも本気を出して、遊ぶこととのバランスをうまくとっている。

ラクな人生などない。辛くて当然なのだから、あがいて、あがいて、あがきつづけるしかないのだ。

短所を「なくす」というのは、あくまでも後ろ向きの発想。長所を「伸ばす」というのが、前向きな姿勢である。

人生を変えようと努力すれば、未来はどんどんかわってゆく。私たちの未来は、私たち自身の手で、変えることができる。これは間違いない。

あれこれと言い訳ばかりして、結局は、「何もしない」を選択してはダメなのである。大切なのは、未来へ向かって、歩き始めることであり、行動することなのだ。

心に余裕ができるから、人とぶつかってもケンカせずにいられるのだ。

劣等感があればこそ、「負けてなるものか」という不屈さややる気が生まれるのである。

コンプレックスがあればこそ、人はそれを克服しようとして、自己成長しようとする。

悪人でも、いや悪人だからこそ、善人に生まれ変われるのだと信じよう。人生は、何度だってやり直しがきくものなのだから。

生きていくうえで、出会うさまざまな障害など、本当はたいしたことがない。

大切なのは、自分に「何が与えられた」かではなく、「どう使う」か。

ただ、自分が「やる」か、「やらない」かのどちらかなのだ。やる勇気を持てるかどうかだ。

私たちの心に影響を与えているのは、得体のしれない無意識などではなくて、日ごろ、自分の心に語りかける何でもない言葉。

人を愛するのは、技術である。技術なのであるから、だれでもトレーニングすれば、人を上手に愛せるようになる。

相手に対する考え方を意識的に変えるようにすれば、相手に対する印象もずいぶんと変わってくる。

相手にだって、素晴らしいところはいくらでもあるのに、みなさんがそれを見ようと思わないから、見えないだけなのである。

喜んで下手に出られるということは、人間としての「器が大きい」ことを示す。

人を愛するというのは、相手のことを思いやって、相手のために全力で尽くしてあげることである。つまりは、親切を施そう、というのが愛の本質である。

自分と目を合わせてくれない人のことを好きになることはない。

お互いが、お互いのために協力する。一方ばかり、負担を強いない。そういう関係づくりをすることが、お互いに幸せになるコツだ。

どんな出来事も、それ自体が、幸福を生み出すわけではない。幸福を生み出すのは、ほかならぬ、自分の判断である。

自己評価を高めるためには、やはりひとつは、人に負けない点を持つことだ。それは、何でもいい。

「幸せにならなければ」「自分を変えなければ」と脅迫的に考えていると、残念ながら幸せな気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだ。

幸せになるコツは、自分より下の人と自分を比べることである。そうすれば、「なんと自分は幸せ者なのか」ということに気づくことができるだろう。

目標があるからこそ、私たちはその目標に向かって歩きだそうという活力やエネルギーを得ることができるのである。

嫉妬深い人は、幸せになれない。なぜなら、他人と自分を比べ、自分の足りないところ、欠点ばかりが過大視されてしまうからなのだ。

「ないものねだり」をしていたら、いつまでも不幸のまま。「あるものを喜ぶ」のが、幸せな人生を歩むうえで、とても大切である。

挑戦できる何かを持つことは、「生きがいを持つ」ことでもある。生きる意味ができたということである。

何もしなければ、それこそまったく幸福感は手に入らない。

幸せでいるためには、毎日の気分がよくなければならない。そのためには、いつでも上機嫌でいるクセをつけよう。

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