1,既存の3ステージの人生のモデルのまま、寿命が長くなれば、私たちを待っているのは「オンディーヌの呪い」だろう。
2,永遠に働き続ける運命を背負わされたパレモンと同じ様に、私たちはそれこそ永遠に働き続けなくてはならなくなる。
3,どんなに疲れ切っていても、立ち止まれば生きていけないのだから。
人生は「不快で残酷で短い」という、これよりひどい人生は「不快で残酷で長い」人生である。
4,私たちは大抵、やさしい家族、素晴らしい友人、高度なスキルと知識、肉体的・精神的な健康に恵まれた人生を「よい人生」と考える。
5,ある人のスキルをどのくらい成果に転換できるかは、会社によって大きく異なる。
だから、自分の知識を最大限生かしたければ、どの会社で働くかを慎重に選んだ方がいい。
自分のもっている知識やスキルに合った職場を選ぶことが重要だ。
6,ありうる自己像とは、未来に自分がどのような人間になる可能性があり、どのような行動を取る可能性があるかを表現したものだ。
それは、将来どうなりたいかを表す場合もあれば、どのような未来を避けたいかを表す場合もある。
希望の象徴にもなるし、暗く、悲しく、悲惨な避けたい未来の象徴にもなるのだ。
7,未来に向けて適切な行動を取ろうと思うためには、「ありうる自己像」について考えることが有効な手立てになりうる。
それは、自己効力感(自分ならできる、という認識)および自己主体感(みずから取り組む、という認識)と結びついている場合にとくに効果が大きい。
8,ポートフォリオ型のシナリオと同じく、自分の意志で未来を選択しようと思い、やはり余暇時間の一部を、レクリエーション(=娯楽)ではなく、リ・クリエーション(=再創造)のために使うことにする。
9,マルチステージの人生が普通になり、人生で様ざまな活動を経験する順序が多様化すれば、「エイジ」と「ステージ」がかならずしもイコールでなくなる。
エクスプローラー、インディペンデント・プロデューサー、ポートフォリオ・ワーカーのステージは、(意味合いは年齢によって違うかもしれないが)あらゆる世代の人が実践できる。
10,「はしゃいで跳ね回る」とは、歩く代わりにスキップし、最短距離ではなく景色のいい行路を選び、目的よりも手段を重んじること。それは、放蕩、過剰、誇張、非効率の世界だ。
11,自分の人生を自分で決めれば、リスクが避けられない。
多様な選択肢に向き合わなくてはならないからだ。
このとき個人に求められるのは、必要ならば過去とほぼ決別し、既存の行動パターンが指針にならない新しい行動を検討する覚悟を持つことである。
12,問を持って捜索に乗り出す。
「私にとって何が重要なのか?」「私が大切にするものは何か?」「私はどういう人間なのか?」 このタイプの人達の旅は、こうした問いに答えることを目的にしている。
13,正しい道を選び取るために時間を費やすことの重要性が高まる。
未来を見据えて、自分の関心と情熱に沿った教育を受けること。
自分の価値観に適合し、やりがいを感じられ、自分のスキルと関心を反映していて、しかも袋小路にはまり込まないような仕事をみつけること。
自分の価値観を尊重してくれ、スキルと知識を伸ばせる環境がある就職先を探すこと。
長く一緒に過ごせて相性のいいパートナーを見つけること。
一緒に仕事ができて、自分のスキルおよび働き方との相性がよく、できれば自分を補完してくれるビジネスパートナーと出会うこと。
14,自己効力感を持っていると言えるためには、以下のような問いに答えられなくてはならない。
生活していくために、どれくらいお金が必要か? 何歳まで仕事を続けたいか? 自分の金銭面の状況をどの程度把握しているか? 自分はどのくらい金融知識を持っているか?
一方、自己主体感不可欠だ。以上の知識を前提に適切な行動を取るためには、自己主体感い基づく自制心を発揮し、自分の現在のニーズと未来のニーズのバランスを取る必要がある。
ここで自問すべきなのは、「70~80歳になったときの私は、いま私がくだしている決断を評価するだろうか?」という問いだ。
15,お金の面で人生の計画を立てるために不可欠なのが金融リテラシー(お金に関する知識・判断力)だ。
16,双曲割引の考え方によれば、人は概して、遠い将来のことには比較的辛抱強いが、近い将来のことにはせっかちだ。
17,代替効果の考え方によれば、賃金が上昇すると、余暇の(言い換えれば、働かないことの)コストが高まるとされる。
この点では、賃金が高い人ほど、労働時間を減らしたときの所得減が大きい。
したがって、高所得者ほど、余暇のコストが大きいということになる。
だから、高所得者は長時間働くことを選択するのだ。
18,長い人生で多くの変化を経験するとき、過去と現在と未来を結びつけ、自己意識を形づくるのは、その人がもつ単一のアイデンティティだ。
19,100年以上にわたって生産的に生きる人生を設計するうえでは、計画と実験が重要になる。
20,100年ライフの計画を立てるためには、自分が何をしたいのか、どのようにそれを達成したいのかという重要な決断をしなくてはならない。
21,「成長思考」の持ち主は、快適なぬるま湯の外に出て行き、未来につながる道に思考を集中させることにより、将来の計画を貫くことができる。
そうした人たちは、「現在の暴虐」 いつもすぐに手に入る果実ばかりを追い求めたり、手ごわい課題を与えられると動揺したりすること をあまり経験しない。
22,有形の資産は重要ではあるが、それは人生で重要な「資産」のすべてではない。
まずは無形の資産に目を向け、どのような無形の資産があるかを考えるといいだろう。
23,企業が老いに関する考え方を改め、生産性を保つための支援をし、賃金の支払い方をもっと柔軟にしてほしい。
その代償として、賃金が増えなかったり、下落したりしても構わないと思っている。
24,高給を受け取れる代わりに、きわめて過酷な労働を要求される仕事もある(時間のプレッシャーが厳しく、勤務時間の自由裁量が小さく、突発的な予定変更に柔軟に応じなくてはならず、チームのメンバーや顧客と顔を合わせなくてはならない時間が多く、同僚に仕事を代わってもらうことが難しい仕事だ)。
25,貧しい人たちは、「不快で残酷で長い」人生を強いられる危険がある。
スキルと知識が不足している人は、長い引退生活を支えられず、キャリアの途中で移行を成し遂げることも難しい。
長寿化の恩恵に浴することが出来ず、むしろ損失をこうむるリスクが切実だ。
26,有名な「ゆでガエルの寓話」そのものだ。煮えたぎった熱湯の中にカエルを放り込めば、驚いて鍋の外に飛び出す。
けれども、鍋の中に入れて少しずつ加熱して行っても、カエルはそのまま動かない。
ものごとがゆっくり進行しているとき、人は思い切った行動を取りづらい、というわけだ。
27,環境のサスティナビリティ(持続可能性)にも共通する問題である。
その問題とは、人間の短期指向の強さだ。
温室効果ガスの排出量を減らすための措置と同様、長寿化に対応するために踏み出すべき変化のコストは今生じるが、変化の恩恵がもたらされるのはずっと先なのだ。