
好きなことを続けてきたはずなのに、ふと「もう、やめたい」と感じる瞬間がある。
理由はわからないけれど、熱が冷めたような、動きが止まったような感覚。
そんなとき、自分の中に浮かぶ言葉がある。
──「好きなことだけど、嫌い」
──「面白いけど、つまらない」
──「やりたいけど、仕方なくやっている」
この違和感はどこから来るのだろうか。
🧭 出世への違和感と問いの発火点
会社員だった頃、後輩が自分より早く出世していった。
「あの人は人当たりがいいから」「出世するのは元気な人」
そんな言葉を聞くたび、モヤモヤした気持ちが湧いた。
たしかに、説得力ある話し方や協調性、牽引力は大事だ。
でも、出世する人の中には、周囲に気を配るというより、“気にしない人”のほうが多い気もした。
サイコパシー、ナルシシズム、マキャベリズム──
精神科学の分野では、成功者に特有の“暗い資質”を指す言葉もある。
では、自分はなぜ出世を目指したかったのか?
本当に続けたい理由だったのか?
やめたいという気持ちが生まれたのは、“続ける理由の正体”を問い直しはじめたからだったのかもしれない。
💭 好きだったはずのことが、好きじゃなくなる
「好きなことを仕事にすると、好きじゃなくなる気がする」──そんな自問をした日もあった。
やりたいことだったはずが、仕方なくやるようになり、面白かったのに、義務になるとつまらなくなる。
達成できるようになると飽きることもある。
できないうちはチャレンジしていたのに、できるようになった途端、もう続けられなくなることもある。
好きなこと=ずっと好きでいられるとは限らない。
そのことが、自分の中で初めて実感に変わった。
⏳ 「明日やろう」を7回言うと、1週間が終わる
「すぐやった方がいい」と分かっていても、行動できない日がある。
考えるだけで動けない。
効率よくしたい。ムダなことは避けたい。
そう思えば思うほど、何も始められなくなっていく。
でも、気づいた。──「考えること」がいちばんラクだということ。
行動に移すのが大変なのではなく、考え続けることに慣れてしまっている。
最初の一歩は、小さくていいのに、つい大きく踏み出そうとしてしまう。
- 「ノートに書いてみる」
- 「検索してみる」
- 「とりあえず行ってみる」
そんな小さな行動の積み重ねが、動けなかった自分を変えてくれた。
🌱 やりたいことが多すぎて、わからなくなる
自問は続く。
「あれも、これもしたい」「何もないようで、実は選びきれないだけ」
「これをやろう」と決めると、「ああしたら、こうしたら」と考えはじめてしまう。
仕事を片付けようと思えば、部屋も気になり、別のことを始める。
やりたいことが多すぎると、「どれが本当にやりたいことなのか」分からなくなる。
だけど、この自問には意味がある。
問い続けているかぎり、自分の欲求や価値観の“かけら”に気づいている証拠だから。
🔁 やめたい気持ちと向き合うと、残るものが見えてくる
何かをやめたくなるとき。
それは、「違和感に気づいたから」だと思う。
本当の意味で納得できないことに、目を向けはじめたからこそ、“やめたい”という選択肢が浮かんでくる。
けれど、やめたくても「やめずに残ったもの」がある。
それは、理由がなくても手放せなかった何か。
好きでも嫌いでもないけれど、なぜか続いている何か。
やめたい気持ちは、自分を問い直すきっかけになる。
そして、やめずに残ったものこそが、自分の“芯”かもしれない。
📌 次回予告:
番外編⑦|「評価されたいのに、他人と比べたくない」──承認欲求との距離を測る方法
自分を認めてほしいけれど、誰かと競いたくはない。
その葛藤に問いを差し込んだ記録を綴ります。