お金と価値観の交差点──“裕福な人”の共通点に学ぶ、50代からの経済的視点の磨き方

セカンドキャリア

退職後、時間の自由を手に入れたはずなのに、どこか不安が消えなかった。

仕事がなくなったのに、生活には困っていない。だけど、どこか“お金に追われる感覚”が残っていた。

その違和感の正体は、「お金の価値観を棚卸ししていなかったこと」だった。

どこかで、“裕福な人”という存在に憧れがあった。

でも、その定義は案外あいまいで、「収入が多い=裕福」と思っていた自分に気づいたとき、少し驚いた。

ある本を読んでいて、ふと立ち止まった言葉がある。

精神だけでは、行動は現実にならない。
物質だけでも、心は動かない。
精神と物質の両輪が、人を突き動かす。

頭では分かっていたつもりでも、あらためて腑に落ちたのは、退職して“何もない時間”と向き合ったからだった。

精神・物質・価値観──その重なりが生むもの

お金は、単なる「物質」ではない。

どう使うか、何に交換するかという“意味”のやりとりでもある。

そして、その意味づけをしているのは、自分自身の“価値観”だった。

たとえば、知識、時間、健康、人間関係。

これらを「財政的価値」に変換するという視点は、会社員時代にはなかった。

やりがいや感謝で満たされていたから、“お金に変える”という発想を持たずに済んでいたのかもしれない。

“自分の価値観”は、行動というかたちで現れる

副業や執筆を始めて気づいたのは、お金を稼ぐことより、「自分の価値観がどこにあるか」が重要だということだった。

本当に大事だと思っていることなら、他人に言われなくても行動している。

これは、報酬や義務ではなく、価値観から生まれる“自然な行動”だった。

だからこそ、自分がお金とどう付き合いたいのかは、「どんな価値を交換したいか」によって変わってくる。

“現在地”を測る問いと、経済戦略の輪郭

そしてもうひとつ、自分の“お金の現在地”を測る問いがある。

「いままで稼いだお金のうち、何%が手元に残っているか?」

この問いを考えたとき、“収入額”ではなく、“残った価値”が見えてくる。

どれだけ稼いでも、使いきってしまえば、富は残らない。

逆に、意図を持って使い、貯め、育てれば、自由が増える。

仮に、自分が月にいくら必要なのか。

そのために、投資からいくら収入があれば足りるのか。

その前提で、自分にとって「経済的自由」とは何か──

数字をつかって逆算していくと、不安の輪郭が具体化する。

そして、「何をどう備えるか」が見えてくる。

大切なのは、“怖いから避ける”のではなく、“怖さを減らす準備をする”という考え方だった。

お金と働き方を、同じ視点で見直す

働き方を整えるには、お金の仕組みも、自分の価値観も、いちど“見える化”する必要がある。

そのうえで、自分に合った「経済のつくり方」があればいい。

それは、誰かの真似じゃなくて、自分の問いと、自分の価値観に沿った“戦略”でいい。

そしてそれは、派手な稼ぎ方ではなく、“自分に合うペースで選び直す”という行動なのかもしれない。


📌 次回予告:
番外編②|続かなかった“副業実験たち”──やめた理由こそ、大切なヒントだった
試してはやめた副業や副産物の数々。その理由をたどることで、自分の価値観の輪郭がくっきり浮かび上がってきた。


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