どんな人が、良い人で、どんな人が、悪い人なのか。
立場が同じ場合の良い人と、悪い人。
学校という狭いコミュニティーでは、変わった人や、人と違うことをすると、イジメを受けたりするだろう。
また、自分では気づかないうちに、相手を傷つけているかもしれない。
賛同してくれる人は、良い人だろうか。
否定してくる人は、悪い人だろうか。
立場が違う場合の良い人と、悪い人。
会社という大きなコミュニティーでも、同じようなことが起きる。
会社全体を見ているのは、社長や一部の偉い人だけであり、
実力が足りないのに、出世した上司などは、
部下に対して、仕事が遅い人や、考え方が違う人をターゲットにして、
「あいつは、ダメな奴だ」などとレッテルを貼り、自分を良く見せようとする人が出てくる。
嫌いな人は、悪い人で、好きな人は、良い人。
実力も人望もないのに、中途半端に出世して、偉そうにする。
私がもっとも嫌いな奴だ。
偉そうにしている上司は、悪い人だろうか。
偉くない上司は、良い人だろうか。
でも、彼らは彼らなりに、大変なんだろうと思う。
実力もないのに、出世したら、自分を「仕事が出来る奴」として演じなければならないだろう。
能力のないのを見抜かれてはいけない。
みんなの妬みの感情を自分に向けさせないことが大事なのだ。
上司から見れば、仕事が出来る部下は、悪い人だろうか。
仕事が出来ない部下は、良い人だろうか。
かといって、人間は完璧ではない。
どんなに、私が嫌いな人でも、家族の前では、とても「やさしい、いい人」なのかもしれない。
その人を深く知ることが出来れば、嫌いな奴も、好きになるとは行かないが、嫌いじゃ無くなるかもしれない。
家族にはやさしい、会社の上司は、良い人だろうか。
でも、人と深く干渉するのは、とても疲れることです。
日々の会話などから、その人がどんな人間なのか。知らなければならない。
敵なのか。味方なのか。
得な人なのか。搾取する人なのか。
敵は、悪い人だろうか。
味方は、良い人だろうか。
得な人は、良い人だろうか。
搾取する人は、悪い人だろうか。
他人との会話なんて、参考にならない。
SNSもそうだが、あることに対してコメントをしたとすると。
たいがい、「悪口を言っている」と取られるだろう。
自分は、「良いこと」を言ってるつもりでも、同じことを言っても、
聞く人によって、受け方が違うし、
インタビューなどは、もっと酷く、「冗談で言ったこと」を、クローズアップされて、
ジョークが、本当のことになってしまう。
聞く人の心が満たされていれば、冗談をして受け取ってくれるし、
聞く人の心に余裕が無ければ、悪口となってしまう。
良い人と、悪い人が居るのではない。
自分にとって、良い人なのか。悪い人なのか。
自分にとって、敵なのか。味方なのか。
自分にとって、得な人なのか。搾取する人なのか。
そんな人が居るだけみたいだ。