【第16話】ユウリの日常:記憶と記録の編集 『第1章|なかったことにしたい記憶』

ユウリの日常

──Memory Diveオペレーター ユウリの記録補遺より

第1章|なかったことにしたい記憶

ユウリは、Dive者から提出された「記憶削除申請」のログを確認していた。
申請理由は「過去の選択に関する迷いを消したい」というもの。
制度は、その申請を受理し、該当する記録を削除対象として分類していた。

ユウリは、《トレースモード》で削除対象となった記録の断片を読み込んだ。
そこには、ある選択の直前に交わされた短い会話が残されていた。
Dive者が、別のDive者に「どう思う?」と問いかけ、
その相手が「あなたなら、きっと大丈夫」と答えていた。

制度は、その会話を「選択に影響を与えない雑談」として処理し、
削除対象に含めていた。

ユウリは、その瞬間に立ち止まった。
──この記憶は、ただの記録ではない。
それは、誰かが誰かを覚えているという痕跡だった。
その言葉が、Dive者の迷いを支えていた可能性がある。

記憶を削除するとは、
単にデータを消すことではない。
誰かが覚えていることを、
忘れてもらうことなのだ。

ユウリは、制度の削除処理を一時停止し、
その記録の余白に注釈を残した。
「この記憶は、他者との関係性の痕跡を含む。
削除は、Dive者の選択だけでなく、
他者の記憶にも影響を及ぼす可能性がある。」

それは、ユウリが業務中に考えた問いだった。
制度が滑らかに処理しようとする記憶の奥に、
誰かが誰かを覚えているという、
静かな関係性の震えが残っていた。


ユウリにとって、「削除」とは単なる消去ではない。
それは、誰かが誰かを覚えていたという関係性を、
制度が「不要」と判断すること。
その判断の手前に、ユウリは静かに立ち会っている。

ユウリは、削除対象の記録を時系列で再構成し、
その中に含まれる「意味の揺らぎ」や「関係性の痕跡」を確認する。
たとえば、選択の直前に交わされた会話、沈黙、視線の動きなど──
制度が「不要」と判断した部分にこそ、ユウリは注目する。

「記録は削除されても、記憶は削除されない」

記憶を削除するとは、
誰かが覚えていることを、忘れてもらうことだった。

だが、記録のように“削除ボタン”は存在しない。
他人に対して「記憶の削除申請」をしても、
その行為自体が逆に記憶に残るというジレンマを生む。

では、「なかったことにしたい記憶」は消せないのだろうか。
この問いは、制度が閉じることのできない問いだった。
ユウリはそれを、静かに開いた。

記憶の編集は問いを開き、
記録の編集は問いを閉じる。
ユウリはそのあいだに立ち、
制度が閉じた記録の裂け目に、問いの余白を見出していた。

ユウリは、Dive者の記録ログを再生しながら、
制度が見落とした沈黙や関係性の震えに耳を澄ませる。
それは、Dive者の内面に直接Diveするのではなく、
制度が処理した記録の“外縁”に立ち会う編集的Diveとも言えるものだった。


ユウリは、制度が削除対象とした記録に対して、
「この記憶は関係性の痕跡を含む」「削除は慎重に検討すべき」といった注釈を残す。
この注釈は、Dive者の閲覧ログに反映されることがあり、
Dive者自身が「なぜこの記憶が残されたのか」を再考するきっかけになるかもしれない。

彼女は、Dive者に対して「答え」を与えることはしない。
代わりに、制度が閉じようとする問いの隙間に、
Dive者自身が立ち戻れるような“余白”を設計する。

それは、
「問いを開くかどうかは、あなた自身が選べる」
という静かなメッセージでもあった。

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