
「この気持ち、誰にも伝わらない気がする」「わかってほしいけど、どうせ伝わらない」──そんなふうに、言葉にしようとして、諦めることがある。
その気持ちは、“伝えようとした自分”がいた証でもある。
でも、伝える前に躊躇してしまう。
伝えることで、わかられてしまうことが怖いのかもしれないし、わかられないと気づくことが怖いのかもしれない。
💭 言葉にできないことと、言葉にしたくないことは違う
説明がむずかしい気持ち。
どう伝えても誤解されそうな感情。
それは「言葉にできないこと」と呼ばれるけれど、なかには「言葉にしたくないこと」もあると思う。
伝えることで、軽くなる気がした。
でも同時に、雑に扱われる怖さもあった。
誰かに「そんなの、気にしすぎ」と言われたくなかった。
だから、“言葉にしない”という選択をしたこともある。
🧊 伝えても伝わらないときの痛み
言葉にしたのに、何も返ってこなかった。
思い切って伝えたのに、「へぇ」だけだった。
あるいは、まったく違う反応が返ってきた。
そのとき感じたのは、「理解されなかった」ではなくて、「反応してもらえなかった」ことへの孤独だった。
実は、“正しく理解されたい”より、“ちゃんと受け止めてほしかった”のかもしれない。
そして、うまく伝えられなかった自分を責めてしまう。
でも、その気持ちはきっと、悪いことではなかった。
🌀 曖昧なままでも伝えていい
伝えたい気持ちはある。
でも、うまく言えない。
それって、よくないことのように思っていたけど、むしろ、そういう気持ちこそ「曖昧のまま」伝えてみてもいいのかもしれない。
言葉にならないことは、曖昧なのではなく、繊細で未整理なだけ。
うまく言えないけれど、伝えようとすることで、自分の中に少しずつ輪郭が浮かんでくる。
伝えようとする行為そのものに意味がある。
“完璧な言葉”は要らない。未完成なままでも、伝えていい。
🌿 「伝える」ことは、存在を浮かび上がらせる方法でもある
伝えることの目的は、「理解されること」だけじゃない。
伝えることによって、「自分の存在がそこにある」ことを浮かび上がらせる──そんな意味もある。
誰かに届かなくても、伝えた事実は残る。
その言葉に自分がいた。言葉にしようとした時間があった。
それだけで、孤独と切り離された感覚になれる瞬間もある。
🔗 届かなかった言葉にも、意味が残る
伝えたのに届かなかった言葉。
その言葉にも意味はある。
“誰かに伝えたい”と思ったということは、そこに自分なりの感情や温度があったということ。
届かなかったことで、意味が消えるわけではない。
むしろ、届かなかったからこそ、自分にだけ届いている。
それは、「自分にしか分からないこと」かもしれない。
でも──そのことを、誰かに伝えてみてもいい。
分かってもらえない前提でも、伝えてみてもいい。
わかられなくても、伝えてよかったと思える日が、いつか来るかもしれない。
📌 次回予告:
番外編⑫|「言語化してしまうことで、消えてしまう気持ち」──あえて言わない選択の意味
伝えた途端、薄れていく気持ち──“言葉にしない自由”と感情との距離感を探る記録を綴ります。