“やったことがないこと”が、自分をよく映す鏡だった

50代の働き方

── 過去のキャリアを否定するのではなく、手放しすぎないために

自分を試したかった。「やったことがないこと」で

退職したとき、過去のキャリアにフタをしたいと思ったわけではなかった。

むしろ、「今までとは違うことをやってみたい」という気持ちの方が強かった。

整備から開発、知財まで——横断的に歩いてきた会社員人生のなかで、

自分には“モノづくり全体を俯瞰する視点”があると思っていた。

けれど、それをどう次に活かすかは、正直、まだ分かっていなかった。

選んだ副業は、意外にもフリマサイトでの不用品販売だった。

売上を追うためではなかった。

「副業」というよりはむしろ、自分自身の棚卸しに近い感覚だった。

もう使わないモノを整理し、本当に必要なモノだけを残す。

それは、自分の“これからの時間”と向き合う作業だった。


モノを通して、自分の“選び癖”があぶり出されていく

要不要を仕分けながら、ふと気づく。

どんなモノに愛着を感じたか。

どういうモノを「いつか使うかも」と取っておいたのか。

なぜそれを買ったのか。なぜ手放そうと思ったのか。

フリマ販売というごくシンプルな行動の中に、

過去の自分の価値観がくっきりと浮かび上がってくる。

「これは、いい時間かもしれない」と思った。

成功するかどうかは、正直どうでもよかった。

ただ、“やったことのないことをやってみる”というだけで、

自分の手応えは確かにあった。


整備→開発→知財。「新しさ」と「飽き」の交差点

あらためて思い返すと、自分はいつも「新しいこと」を欲していた。

整備の現場では、原因を突き止めて直すプロセスが面白かった。

けれど、車検整備などの“決まった手順の繰り返し”には、次第に飽きを感じた。

開発に派遣として転職すると、新しいこと、新しい課題や問題の連続。

解決できないものは妥協案を出し、コンセプトから練り直す。

思考の余白が楽しかった。

しかしながら、派遣→委託へと会社の体制が変わると、

担当業務は“決まった試験をこなす”ことに戻っていき、

「これ以上ここにいる意味はあるのか」と、また退職を考え始めた。

知財に異動したときは、もはや転職に近い感覚だった。

知らないことばかりの世界に、わくわくした。

でも、仕事は遅かった。知らない単語が出てくると調べてしまう癖が抜けなかった。

同僚に「どうしてそんなに早いの?」と聞くと、

「仕事をパターンで分けて、繰り返してるだけだよ」と笑われた。

ああ、自分は“80%くらいまでできるようになると、そこから飽きてしまう”人間なんだ。

いつも、そこそこの出来具合で、また“次の新しさ”を探していた。


「そこそこ出来るけど、ダメでもない」自分を受け入れる

振り返れば、器用貧乏なようでいて、どこか「深く掘りたい」と願っていた節もある。

けれど今は、その“80%の自分”を、丸ごと受け入れたいと思っている。

やったことがないことに手を伸ばすのは、

実は“今の自分の特性”をよく映してくれる鏡なのかもしれない。

キャリアを「活かす」ではなく、「解体して遊んでみる」。

そんな姿勢から、働き方の再構成は始まっていくのだと思う。


📌 次回予告: 第4話|セカンドキャリアは、ゼロからでも再構成でもかまわない
履歴書の先にある、“違和感”と“やってみたい”の交差点について考える。


🔗 この連載の一覧はこちら:  
📘 [セカンドキャリアを組み直す50代の記録]

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