
「言葉にした瞬間、遠ざかった気がした。」──そんな感覚を、ふとした記憶の中で思い出すことがある。
たとえば、深夜に日記を書こうとして、筆が止まった瞬間。
誰かに何かを伝えようとして、言いかけてやめたとき。
心の中では確かにあった感情が、言葉に乗せた途端、少し違って聞こえた。
あれほど濃かった気持ちが、言語化した瞬間、まるで他人事みたいに軽くなった──そんなとき、どうしても伝えきれないものがあると感じる。
💬「言葉にしたら、違った」──そのズレの正体
言語化は、伝える手段だけれど、輪郭が強すぎてしまうことがある。
「寂しい」「悔しい」「不安だった」──そう書くことはできても、その裏にあった「言葉にならない揺れ」や「混ざった温度」が抜け落ちてしまう。
定義された感情が、本来の曖昧さを覆ってしまい、元の気持ちとは別の何かに変わってしまう感覚。
それが怖くて、“言わない”という選択をすることがある。それは逃げではなく、守りだった。
✏️「書かない日記」が残した記録
何も書かなかった。でも、書こうとした時間があった。
誰にも見られない日記──ただ画面を開いて、言葉にならない感情と向き合って、そして、保存せずに閉じる。
その「保留された言葉」は、記録されなかったけれど、確かに自分の中に残った。
言語化しなかったからこそ、今でも忘れていない記憶になっている。
- 言わなかった一言。
- 送らなかったメッセージ。
- 飲み込んだ質問。
それらは、“言語化しなかった記録”として、今も生きている。
🌀 曖昧さが、感情の豊かさを守ることもある
「はっきりさせること」「明確にすること」に価値を置きがちだけど、感情には「はっきりしないまま」でいてほしいものがある。
混ざったまま。揺れたまま。言葉にならないまま。
その状態を保つことで、感情が軽くならずに、自分に寄り添ってくれることがある。
曖昧さは、消えることではなく、「生き残る形」でもある。
🔕「言えない」のではなく、「言わない」を選んだ
誰にも言えなかったんじゃない。誰にも言わなかったのだと思う。
それが“自分にしか分からない”こととして、静かに残ってくれている。
言語化しなかったことには、理由があった。
- 軽くしたくなかった。
- 定義されたくなかった。
- 誰かに渡したくなかった。
それは、「逃げ」ではなく、「選択」だった。
🎯言語化しなかったからこそ、残った気持ちもある
今振り返って思う。言語化しなかったからこそ、今でも大事にできている気持ちがある。
- あの夜、書かずに閉じた日記。
- 言わなかった一言。
- その場で語らなかった過去。
それらは、記録されていないけれど、“自分の中で保存された記録”として、確かに生きている。
言葉にならないからこそ、消えなかった気持ち──そんな記録が、私たちの奥にそっと残っている。
📌 次回予告:
番外編⑬|「誰にも見られなかった記録」こそ、自分らしさの原点かもしれない
書きかけてやめた日記/誰にも送らなかったメッセージ──“非公開の言葉”が、自分のかたちをつくってきた記録かもしれません。
📎 関連する記事
- 番外編⑪|「自分にしか分からないこと」は、誰かに伝えていいのか?
▶ わかってほしかった。でも届かなかった──その言葉に残った温度と意味 - 番外編③|「やりたいことがない」は、問い直しの出発点
▶ 自分の言葉で語ることの難しさ──“やりたいこと”より、“言えるかどうか”を問い直す記録 - 番外編⑧|「好きだったはずなのに、続けられない」
▶ 言えない自分を責めないために──続かない理由にも意味があると気づいた記録 - 番外編⑩|「自分で決めたはずなのに、従っている感覚」
▶ 選んだはずなのに苦しい──言語化できない違和感を問い直す回 - 番外編⑦|「評価されたいのに、他人と比べたくない」
▶ 言葉にできない承認欲求──沈黙と比べる気持ちの交差点を見つめた記録