
なぜ、未来のイメージが描けなかったのか?
「自由に生きたい」と思っていた。
でも、描こうとしても、いつも浮かぶのは現実的なシーンばかりだった。
会社に戻れば生活は安定する。
けれど、それは“自由”ではなかった。
逆に、借金が増えて破産するイメージの方が鮮明だった──それは“望まないけれど、見える未来”だった。
イメージしようとしても、明るくはならなかった。
望もうとしても、「それって本当に自分が望んでること?」という問いが先に立った。
ウェルバランスという持ち味──理想を描けなかった理由
「ウェルバランス」──それは自分の座右の銘だった。
そこそこ出来て、ダメでもない。
それを“良し”としていた。
意欲が低いわけじゃない。
だけど、“完璧な理想”を掲げることには、違和感があった。
もしかすると、自分が理想を描けないのは、この価値観のせいかもしれない。
でも、そう思えたとき、ふと気づいた。
理想がなくても、自分には“納得”がある、と。
焦って理想を掲げなくても、現状を“ありのまま”受け止められているのなら──
それは、“望まないことを、無理に望まない”という自分らしさだ。
曖昧なままで残る未来──言葉にならない想像の中にあったもの
これまで、あえて言葉にしなかったことがあった。
未来のイメージを描かずにきたのは、消えてしまう気持ちを守りたかったから。
曖昧なままでいた自分。
理想がなかった自分。
語らなかった未来。
それらを「持っていなかった」と思っていたけれど──
今になってみると、それは「持っていたけれど、言葉にしていなかった」だけだった。
無理に望まない選択がくれたもの
何かを望むと、そこに“義務”が生まれる。
夢を語ると、“叶える努力”がセットになる。
でも、自分はそこに距離を取りたかった。
「望まないことで守れる、自分のバランスがある」
それは、“願望を捨てた”わけじゃなく、“願望に縛られない生き方”を選んだということだった。
スピリチュアルな3ステップのように、
──描いて
──委ねて
──確信する
その流れに乗れなかった自分も、間違ってはいないと、今では思える。
書かなかった記録、語らなかった未来も、自分の一部
記録されなかったこと。
言葉にしなかったこと。
語らずに通り過ぎた感情。
それらは、残っていないようで、実は残っていた。
無理に書かなくても、語らなくても、自分の思考や選択はそこにあった。
未来を描けなかったことすら、自分の選択だった。
そしてそれは、“意志のない人生”ではなく、“意志のかたちが違った人生”だった。
終わりに:描かなかったことを、記録にする
言語化しなかったこと。
語らなかった未来。
理想を掲げなかった理由。
それらを、ようやく書けるようになった。
無理に望まなかった自分。
そこそこ出来て、ダメでもない自分。
ウェルバランスな人生。
それは、誰かに伝えるためじゃなく、自分にとって納得できる記録になる──
そんなふうに、この番外編を終えたい。
🔗 この連載の一覧はこちら: 📘 [セカンドキャリアを組み直す50代の記録]
シリーズ③:本編エピソード(①~⑤) ▶ 働き方の外側を整える記録へ
シリーズ③:番外編シリーズ(①~⑬) ▶ 働き方の内側に触れる記録へ
📎 関連記事ナビ一覧表|番外編⑬とのつながり
記事タイトル | 関連テーマ | リンク |
---|---|---|
番外編⑫|言語化すると消えてしまう気持ち──あえて言わない選択の意味 | 書かなかった/語らなかった記録が残した意味 | 読む |
番外編⑪|「自分にしか分からないこと」は、誰かに伝えていいのか? | 曖昧な感情と沈黙/理想を語らない距離感 | 読む |
番外編③|「やりたいことがない」は、問い直しの出発点 | 理想が描けない焦り/問いによって進む納得感 | 読む |
番外編⑩|「自分で決めたはずなのに、従っている感覚」 | 自由なはずが“義務化”していた選択への違和感 | 読む |
第5話|揺れながらでも書いてみたら、“これまで”がつながった | 言葉にならない思いの記録/納得への地図づくり | 読む |
▶ 書いて見えた“問い”から、語らなかった“未来”へ:
→ 第5話 / 番外編⑬
問いを書いた記録 → 書かれなかった理想の記録へ▶ これまでの再構成から、“描けなかった理想”へ着地する流れ:
→ 総集編 → 番外編⑬
戦略の整理 → 理想を描かないという選択の肯定