
──Memory Diveオペレーター ユウリの記録補遺より
第2章|削除されたはずの記録
ユウリは、Dive者の不要なログを整理していた。
制度が定義する「不要な記録」は、滑らかに分類され、削除対象として処理される。
だが、その中のひとつに、彼女は違和感を覚えた。
それは、何となく記憶にある記録だった。
見覚えがあるようで、ないようで──
記録としては削除済みのはずなのに、記憶の奥に残っている。
ユウリは自分に問いかけ、問いを閉じる。
「この記録は、“なかったこと”にしたかった記憶なのかもしれない。」
と、ユウリは思った。
それは、記録として残すには重すぎて、記憶として抱えるには曖昧すぎる出来事だった。
彼女はかつて、その記録を削除したことを思い出した。
業務開始前に削除した、「自分の備忘録」だった。
それは、業務としての判断ではなく、個人としての願望であった。
けれど、今目の前にあるその記録は、どこか違って見えた。
形式は同じでも、質感が違う。
まるで、記録が記憶のふりをして現れているようだった。
あるいは、記憶が制度の記録に擬態しているのか。
ユウリは、記録と記憶の境界が揺らいでいることに気づく。
彼女は端末を見つめながら、静かに息を吐いた。
「これは、制度が再構成した記録なのかもしれない」
そう思った瞬間、記録はただの情報ではなく、
彼女が“なかったこと”にしたかった感情の残響として立ち上がってきた。
そして、ユウリは確認する。
その記録は、制度上は削除済みだった。
だが、記録構造体はそれを再び読み込んでいた。
ユウリは端末を見つめながら、静かに思う。
そしてユウリは、また自分に問いかけ、今度は問いを開く。
「バックアップか、制度的な再構築か──
記録は断片から再生成され、“新しい記録”として読み込まれているのか。
それとも、忘れていた記憶が装置によって思い出されただけなのか。」
彼女が「新しい記録」として読み込んでいたものが、
実は制度によって再構成された過去だったと気づいた。
その再構築された記録は、制度が記録の断片を再構成し、意味を与え、滑らかに処理されている。
彼女は、この再生成に対して、どこか距離を置く。
それは、制度が「忘却」や「未完」を整えてしまうことへの違和感だった。
それは問いの余白が、制度によって閉じられてしまうような感覚。
その日の夢の中で、ユウリは誰かの声を聞いた。
「それ、まだ覚えてるよ」
削除したはずの記録が、記憶の中で生きていた。
夢の中でふと浮かび上がった記憶は、制度の記録とは異なるかたちで彼女に語りかける。
それは、編集されていない記憶の残響だった。
夢の中でユウリは、誰かの声に導かれるように、削除したはずの記録の断片に触れていた。
その記録は、制度が整えたものとは違っていた。
文脈も、ラベルも、時系列も曖昧で、ただ感情のかたちだけが残っていた。
言葉にならなかった沈黙、選ばれなかった選択、見送ったまなざし──
それらが、記録の形式を持たずに、記憶の揺らぎとして彼女に語りかけていた。
ユウリは、制度が再構成した「新しい記録」とは異なる何かに触れていることを感じた。
それは、誰かが保持していた記憶でもなく、制度が保存していた記録でもない。
それは、彼女自身の内側で、編集されずに残っていたもの。
夢機能がそれを呼び起こしたのではなく、彼女自身がそれに立ち会っていた。
そして、彼女は「記録ではなく、記憶が編集されている」ことに気づく。
その忘れていた記憶は、彼女自身の内面にある揺らぎであり、
夢や感情によって再浮上する現象だった。
それは、制度が定義できない「問いの余白」に属するもの。
ユウリは目覚めながら思う。
「制度が記録を再編集すること」と、
「私が記憶の残響に立ち会うこと」は、
同じ“新しい記録”ではない。
ユウリが夢の中で触れた記憶は、制度が滑らかに整えた記録ではなく、
彼女自身が“なかったこと”にしたかった感情の残響だった。
それは、過去が現在に侵入してくるような感覚──
記憶が“新しい”と感じられることで、彼女は再びその出来事に立ち会わされる。
彼女はその記憶を、もう見たくなかった。
制度に従って削除したはずなのに、夢の中で再演されることで、
記憶は記録よりも強く、鮮明に、彼女の現在を揺らがせた。
ユウリは思う。
「記録を消しても、記憶は消えない。
記憶を消すには、思い出さないことしかない。
でも、夢はそれを許してくれない。」
制度が再構成した「新しい記録」は、滑らかで整っていた。
だが、夢の中で再演された記憶は、未編集のまま、彼女の内側に突き刺さる。
それは、問いの余白ではなく、問いを閉じたかった場所だった。
ユウリは気づく──
「記録ではなく、記憶が編集されている。
そして私は、その編集を拒んでいたのかもしれない。」
彼女は、記憶を“なかったこと”にしたかった。
だが、夢はそれを再演し、制度はそれを再構成する。
ユウリは、その狭間に立ち尽くしながら、
問いを閉じることも、開くこともできずにいた。
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