
「認められたい」って、思ってしまうことがある。
でも、「人と比べるのはイヤだ」とも思っている。
このふたつの気持ちは、一見矛盾しているようで、実は隣り合っている。
🔍「自分らしくすればいい」と言われても、迷う
「自分らしく」と言われても、なんとなくモヤモヤする。
それって「ワガママになれ」ってこと?
僕はなぜか、「自分を好きになりたい」とは思っていなかった。
「こんな自分でもいい」と言ってくれる人を、ただ求めていた。
嫌いな自分を認めてくれる人。味方になってくれる人。
分かってくれる人が、どこかにいないかな──と、心の中で探していた。
🧩「自分を持っている人」に惹かれるけど、混乱もある
自分が持ってないものを持っている人に、どうしても惹かれる。
強い自分軸がある人、こだわりのある人、自信がある人。
でも、「自分を持っている」と「ワガママ」を、混同していたことがある。
- クセが強すぎる
- 自分の価値観を曲げない
- 柔軟さがなくて、人に合わせない
そんな人を見て、「もっと柔らかくなれないの?」と思ってしまった。
でも、相手を変えようとすること自体が、ちょっと違った。
妥協じゃなくて、ブレたと感じることもあった。
柔軟さと芯の違いに、まだ迷っている自分がいた。
🧠「完璧じゃなきゃダメだ」と思ってしまう日もある
「自己啓発の本を読むと、自分がダメな人間だと感じてしまう」──そんな言葉を見かけたことがある。
わかる気がした。
- 完璧な人を求める風潮。
- 比べてしまう気持ち。
「他人は他人」「自分は自分」と言い聞かせても、つい自分を下に見てしまう。
他人と比較して、優劣をつけて、「自分より劣っている人がいるから、自分もダメじゃない」──そんな考えになってしまうこともある。
でも、それってほんとうに納得してるんだろうか。
⏳「自分で決めたことなのに」動けなくなる
「今日は仕事を終わらせよう」「雑用を済ませてしまおう」──そう決めても、休憩を入れたくなる。
コーヒーを飲む。ゲームを少しやる。準備が整わない。買い物が必要になる。
「ああ、後でもいいや」「明日休みだし」──と言ってしまう。
でも、明日の自分は、今日の「やりたくないこと」を、やりたいとは思ってくれない。
やりたくないけど、やらなきゃいけない。
それを、少しでも「やりたい」に近づける方法が、必要なのかもしれない。
🌪️ 情報の多さに疲れてしまう日
「人は1日に9000回の判断をしている」と聞いた。
「いる・いらない」「見る・見ない」──その繰り返し。
テレビやネットは、情報があふれている。
全部を拾おうとすると、頭がいっぱいになる。
必要な情報まで、入ってこなくなる。
テレビは時間泥棒、と感じることもある。
情報が多いと、自分の判断もブレる。
「どうせ自分には無理かも」って、思考が止まる。
それでも、ほんとうは“自分の選び方”がしたいと思っている。
🎧 自分に関心を持てば、少しだけ好きになれるかもしれない
好きの反対は、嫌いではない。
好きの反対は、無関心──誰かがそう言っていた。
自分に関心を持てれば、自分のことを少しずつ好きになれる。
相手に関心を持てれば、関係性も育っていく。
批判に反応してしまうと、関心があると伝わってしまう。
だからこそ、嫌いな人には「無関心でいる」という選択もある。
自分との距離を測るうえで、大事な選び方のひとつかもしれない。
🛤️「誰かに認めてほしい自分」を、自分で選び直す
承認欲求は悪いものじゃない。
ただ、それに自分をすべて預けてしまうと、苦しくなる。
僕は、「完璧な人になりたい」のではなく、「わかってくれる人と出会いたい」と願っていただけ。
そして、自分の声に耳を傾けるうちに気づいた。
「誰かに伝えたい自分」は、じつは「自分で認めたい自分」だった。
比べないようにしていたのに、比べていた。
伝えないようにしていたのに、伝えたかった。
遠ざけたかったのに、近づいていた。
承認欲求との距離は、測るものじゃなくて、
「どの自分を承認したいのか」を、選び直すことなのかもしれない。
📌 次回予告:
番外編⑧|「好きだったはずなのに、続けられない」──やめたくなる自分との付き合い方
モチベーションが消えかけたときに、自分の中に残った問いと、やめ方の選び方について綴ります。