
──Memory Diveオペレーター ユウリの記録補遺より
第1章|時間旅行者たち
Memory Diveは、タイムマシンのようなものだ。
過去の記録を読み込めば、過去に行ける。
夢機能は、未来の記録を見せてくれる。
制度は、記録を座標化する。
過去・現在・未来──それぞれの選択は、記録として保存され、再生される。
Diveとは、その座標に触れ直す行為であり、
記録社会における時間旅行の技術でもある。
あるDive者は、かつて「進学ではなく就職」を選んだ。
制度はその選択を「合理的」と分類し、記録にもそう刻まれていた。
だが数年後、Dive者はその選択を「間違いだったかもしれない」と感じ、
「当時の迷いを消したい」として記憶削除を申請した。
「間違いだったかもしれない」と感じることは、
過去の選択に対して新たな問いを立てること。
しかしそれは、内省と葛藤を伴い、精神的な負荷が大きい。
Dive者は、その問いの重さに疲れ、
「迷いを消す」ことで思考を止めたいと願ったのかもしれない。
制度の滑らかさに戻ることで、
「自分の選択を肯定したい」という欲望を抱いたのかもしれない。
迷いは、後悔や自己否定につながる不安定な感覚でもある。
それを「なかったこと」にすることで、
現在の自分を守ろうとする防衛的な選択でもある。
Dive者は、問い直すことで「別の未来」を想像し始めていた。
だがその未来は、制度が提示していない不確かなもの。
その不確かさに立ち会うよりも、
「迷いを消す」ことで現在の安定を選んだのかもしれない。
「迷いを消したい」という申請は、
Dive者が問い直しの途中で立ち止まり、
制度の滑らかさに身を委ねようとした瞬間でもある。
ユウリは、その申請に立ち会いながら、Dive者の視点が気になり、静かに聞いてみた。
あのとき、進学ではなく就職を選んだ。
制度はそれを「合理的」と分類し、周囲も「向いている」と言ってくれた。
でも、今になって、ふとした瞬間に思い出す。
あの選択の直前、友人が言ってくれた言葉──
「進学したら、君はもっと自由に考えられるかもしれない」
その言葉が、ずっと頭の片隅に残っている。
選ばなかった未来が、選んだはずの現在を揺らがせる。
だから、申請した。「迷いを消したい」と。
この迷いがある限り、今の選択が正しかったのかどうか、ずっと問い続けてしまう。
制度が提示する「最適な現在」に、自分を馴染ませることができない。
迷いを消せば、過去の選択に戻ることもない。
別の未来を想像することもない。
今の自分を、ようやく肯定できるかもしれない。
でも──本当に消したいのは、迷いなのか。
それとも、問い続ける自分なのか。
申請を出したあと、その問いが、また静かに立ち上がってくる。
制度としての削除申請は「記録の整理ができること」でもある。
Dive者が「迷いを消したい」と申請するのは、
自分の中の揺らぎを整理し、前に進むための意思表示でもある。
ユウリは、制度の処理に立ち会う中で、
Dive者が「迷いを消したい」と言うとき、
その言葉の奥にある「本当はまだ迷っている」気持ちを感じ取る。
だからこそ、ユウリは削除申請をただ処理するのではなく、
その記録の余白に注釈を残す。
「この記憶は、戻ってきた者の問いの痕跡を含む。
制度の時間軸に統合されたが、
その揺らぎは、まだ終わっていない。」
Diveすることで、記録は編集され、
選択肢が生まれ、何通りもの未来が提示される。
過去の選択をすれば過去に、
違った未来を見るための選択もできる。
記録社会では、過去の選択は制度によって保存・再生され、
Diveを通じて、過去の選択の瞬間に立ち戻ることができる。
その過去の選択に含まれていた“別の可能性”を再編集することで、
制度が提示しない未来の選択肢を、再び想像することができる。
だが、共通するのは──
Dive者は元の時間軸に戻ってくるということ。
どれほど深く記憶に潜っても、
どれほど過去の選択を再構成しても、
制度は必ず、現在という座標に戻すよう設計されている。
それは、記録社会における安定性のためでもあり、
選択の責任を現在に帰属させるためでもある。
Dive者は、過去に触れ、迷いを再体験し、
時に「別の未来」を想像する。
だが、制度はその想像を記録化し、
現在の選択肢に再統合する。
ユウリは、その構造を知っている。
だからこそ、Dive者が戻ってきたとき、
その手に何を持ち帰ったのかを静かに見つめる。
問いの痕跡か。
迷いの再編集か。
それとも、制度が閉じたはずの記憶の震えか。
ユウリは、元の時間軸に戻ってきたDive者の記録に、
小さな余白を見つける。
そこには、制度が分類しきれなかった語彙が、
まだ沈黙として残っている。
Diveは終わる。
だが、問いは終わらない。
ユウリの日常は、
その“戻ってきた後”に始まるのだ。
今日も、誰かが誰かの記録を読み込む。
たとえ自分自身の記録を読み込んでも、
それは異なる記録として写るだろう。
そして、自分の記録でさえも、
いつか誰かの記録になっていく。
ユウリはその時間の裂け目に立ち会いながら、
問いを閉じる制度の隙間で、問いを開く編集を続けていた。
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