
「これが自分の選んだ働き方だから」「好きなことを仕事にできたから」「裁量があるから自由に動ける」
そんなふうに、意志のある選択をしたつもりだった。
でも、なぜか苦しい。やめづらい。義務のように続けてしまう。
──それって、自分で選んだはずなのに、“従っている感覚”だ。
🧭 「自由に働く」は、義務にもなりうる
フリーランスや副業、リモートワーク。
「自分で選んだ働き方」という響きには、自由がある。
でも、実際には、決まった時間に作業して、休みの日にも稼働して、SNSやポートフォリオを更新して──何かに“従うような動き”が続いている。
自由なはずなのに、選択がルーティンに変わっていく。
それに従っている自分を見て、「これは本当に、自分の選択だったのか?」と、問い直したくなる日がある。
💬 好きだから始めた。でも、今も好きとは限らない
「好きなことを仕事にした」という言葉は、たしかに素敵だった。
でも、好きなことは、“続けたいこと”とは限らない。
- 好きだったけど、飽きた。
- 楽しかったけど、疲れた。
- 好きでいたかったけど、義務になった。
最初の「好き」という感覚は、今の状況にそのまま当てはまらない。
それでも、「好きなはずだった」という記憶にしがみついて続けてしまう。
これは選択の継続ではなく、“従属”に近いのかもしれない。
🔄 選んだことは、変えてはいけないと思っていた
自分で決めたことだから、途中で変えたら“逃げ”になるような気がしていた。
「方向性を変える」「やり直す」「やめる」ことが、無責任に感じていた。
でも、それは、ずっと“過去の自分”に従い続けることでもある。
選択が尊いのは、「選び直せる自由」があるからであって、一度選んだら変えてはいけない──という考え方自体が、自分を縛るルールになる。
むしろ、変えていい。
自分の“今”に合うように、選び直していい。
✏️ 選び直す力は、「自問する力」でもある
これまでにも、「やめたくなる」「続かない」「動けない」──そう感じる瞬間はあった。
そのたびに、問いが浮かんだ。
- なぜ続けているのか?
- 誰のためにやっているのか?
- 自分にとって意味があるのか?
問いを言葉にすることで、「選び直す準備」が始まった。止まっていたわけじゃなかった。
ただ、自問が深くなっていた。
やらない理由を言語化することで、やりたいことが見えてくるように、自分を縛っていた選択にも、別の可能性が宿りはじめた。
🎯 「自由だったはずの選択」から、選び直す自由へ
自由は、選択できることだけじゃない。
「選び直せること」にも、自由が宿る。
自分で決めたことが、自分を窮屈にしているなら、それを変えてもいい。
やめても、組み直しても、別のかたちにしてもかまわない。
“今の自分”が、どう選びたいか。そのことだけに耳を傾けてみよう。
過去の選択に従うのではなく、今の選択に、もう一度“自由”を与えてみることが、自分との関係を回復するきっかけになるかもしれない。
📌 次回予告:
番外編⑪|「自分にしか分からないこと」は、誰かに伝えていいのか?
「分かってほしいけれど、伝えても届かない」──そんなジレンマの中で、言葉の距離と自分の境界線を探ります。