自分で決める自由は、思っていたよりずっと静かで、難しい

この連載について
空き家や不用品の片づけを通して「暮らしを整える」ことに向き合ってきた筆者が、
次に見つけた“片づいていないもの”──それは、自分の働き方と役割でした。
このシリーズでは、定年退職してからではなく、
「会社にいながらも“その先”に気づき始めた50代の視点」から、
これまでの働き方と、これからの組み直しについて綴っています。
「で、次はどこ行くの?」の問いに詰まった日々
会社を辞めようと思い始めたとき、誰かに相談するたびに返ってきたのは、
「それで、次はどこに行くの?」という問いだった。
転職なのか、独立なのか。それともただの“逃避”なのか。
自分の中では静かに熟していた決断だったけれど、
この質問に返す言葉をうまく見つけられなかった。
「いや、まだ決まっていなくて…」
そう答えた瞬間、相手の表情にうっすらと不安がにじむ。
それもあって、私はあまり多くを語らず、
副業やブログの準備のことも口には出さなかった。
説明できる未来よりも、自分の中にある違和感を信じていた。
昼は自由、夜は副業。充実と葛藤のはざまで
退職した直後、日中は好きな時間に起きて、近所をぶらぶらしたり、
平日のカフェで本を読んだりして過ごした。
夜になると、副業で少しずつ収入を得ながら、“自分で働く感覚”を確かめていた。
「これって、案外いい時間かもしれない」と思った反面、
心のどこかで、ふとよぎる声もあった。
「世間から見て、自分は働いていない人になったのではないか」
「このまま“自由”に過ごしていて、本当に大丈夫なのか」
見えない“世間体”という圧力と、自由でありたいという願い。
そのあいだで、揺れていた。
編集権が戻ってきた感覚と、気づいた問い
会社にいた頃は、時間も予定も「誰かが決めてくれる」ものだった。
決められた時間に出勤し、やるべきことがあり、帰宅すれば一日が終わる。
でも今は、
「今日は何をする?」
「どこで働く? 何に集中する? 休む? 学ぶ?」
——それをすべて、自分が編集していい状態になった。
それは自由である一方で、“自分の人生に責任を持つ”という重さもあった。
本当に、自分の人生は自分で編集してもいいのだろうか?
会社員としての日々は、ある意味ではずいぶん“楽”だったと気づいた。
誰かが決めたレールに乗っていれば、それなりに評価され、それなりに守られた。
けれど、今は違う。
自分で選び、自分で決めるということは、
ときに孤独で、ときに正解がなくて、でも確かに「生きている実感」があった。
結び|“何になるか”ではなく、“どう働くか”を考える日々へ
セカンドキャリアは、“何になるか”を選ぶ話ではないのかもしれない。
むしろ、“どう働くか”を自分で組み直していくプロセス。
会社にいた頃には見えなかった「自分のリズム」や「集中の形」を拾い直しながら、
働くということを“言い換える力”を、少しずつ育てている気がする。
📌 次回予告: 第2話|自己紹介に詰まったとき、“役割で語れない自分”に出会う 名刺や肩書きのない日々。自己紹介の空白に立ち止まった、ある日の話。
第2話|自己紹介に詰まったとき、“役割で語れない自分”に出会う
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📘 セカンドキャリアを組み直す50代の記録
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▶ 自分らしさを働き方に組み込もうとする葛藤が、「編集権」との向き合い方に呼応する回。